『死』の価値。

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包帯まみれになりながら、私は街を歩く。通りすがる人達が私の姿を見てはギョッとして振り返り、そさくさとなにごともなかったかのように立ち去っていく。 気持ちよかった。 快感にも感覚に私は酔いしれる。もう、何も取り繕うことのないこの姿に私は快感を感じて、身体をよじって呼吸ができないほど、笑った。 優等生だと偽らなくていい。 良い子のふりなんてしなくていい。 他人の目を見て自分を作り替えることをシなくていい。 アハッ!! アハッ!! アハッ!! 内心で笑い声が出て 「アハッ、アハハハハハハハハ、ハーーッハッアハハハハハハハハ、アハハハハハハハハ、アハハハハハハハハ、アハハハハハハハハ、アハハハハハハハハ」 倒れて、膝を突いて、ドンドンと地面を叩く。火傷の傷跡がヒリヒリと痛み。そして、涙を流しながらアハハハハハハハハと笑い。 「殺してやる」 自分の中に灯った憎悪をくすぶらせた。 内面から焦がしてしまいそうな憎悪の炎が私を突き動かす。殺してやる。殺してやる。殺してやる。あの男を必ず殺してやる。 私はここまで堕ちたぞ。ここまで失ったぞ。お前はどこにいる? どこかで殺しているのか? 殺されていないだろうな? 生きていろよ。五体満足でいろよ。私がズタズタに引き裂いてやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。 そのためには必要なことが沢山あった。大まかに分けて三つ。 ずやるべきなのは自分の身体作り、こんなひんそうな身体ではけっしてあの男を殺すことはできない。そのためのトレーニングが必要だ。 それともう一つ、これは決して家族の為なんかじゃないということ。私怨もいいところだ。殺されたから、殺す。実にわかりやすくてスマートな理由、それに家族を利用する。家族の死を利用する。悲しんでやったりなんてしない。 最後、人を刺し殺す覚悟と経験だ。 大きなパチンコ屋の前に立つ。夜中の駐車場、車の陰に隠れて誰かが来るのを待つ。時刻は十二時を過ぎただろうか。こんな時間でもパチンコ屋に来る奴はいる。 ナイフを構える。ハッハッハッと息づかいが荒い。数週間、リハビリとして通いつめ身体をいじめ抜いた。その合間に人形や動物でナイフを刺す練習も重ねた。最初のうちはその感覚に吐き気を覚えたけれど、全身の火傷がそれを許さない。刺す。抉る。裂いていく。ついでに自分の身体にも傷をつける。そして今日、私は人を殺す。殺してやる。
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