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俺は提出する書類を手に、教務課へと向かう。
その途中、廊下ですれ違った学生カップルの笑顔を横目に、小さく息をつく。
「結婚……か」
俺には一生縁の無い話だと思っていた。
教授には幾度と無く結婚の意義について諭されてきたが、俺の気持ちに変化が起きる事は無かった。
人を愛せない人間が、一生誰かと寄り添って生きていく事など、理論的に不可能だ。
俺は一生、虚無感と共に生きていくものだと信じて疑わなかった。
「……優愛」
完全なる無意識の中、零(こぼ)れたその名に自分自身も驚いて、思わず辺りを見渡した。
そして近くに誰も居ない事を確認して、ほっと肩を撫で下ろす。
……危なかった。
この場で安易にその名を呼ぶ事は、許されない。
そもそも、教授が結婚などと飛躍も過ぎる事を言い出すからだ。
俺と彼女は特別な関係でも何でも無く、況(ま)してやこれ以上彼女に深入りしてはいけないと、今し方思い直したばかりであったのに。
そう、大人気無くも動揺の原因を教授の所為にして、再び教務課に向けて歩みを進めた。
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