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「それで、君はどう答えたんだ?
まあ、イエスと言ったから、
今ここにいるんだろうけど」
マネージャーの椿京一郎は、
早足で歩きながら、隣にいる、
入社したばかりの塔子に
視線をやることもなく、
そう言った。
京一郎はまだ、二十七歳という
若さでありながら、
既にホテルマネージャーとしての、
気品と貫録を纏っている。
身長が高く、その分歩幅も広くて、
歩くのが早い。
真新しい制服を着た塔子も、
京一郎の、そのスピードに遅れまいと、
慣れないヒールで必死だった。
二人は長い廊下を、
客室に向かって歩いていた。
「でも私、ハローワークからの帰りに、
あの清水さんに声をかけられた時は、
驚きました。
だってまさか、『薔薇色のホテル』が
本当に存在していただなんて。
てっきり、都市伝説だと思ってたから」
「都市伝説……か」
京一郎は前を向いたまま、
口元だけを歪ませて、
小さく笑った。
「ここで働く代わりに、
君が要求した『報酬』は何だ?」
「母の認知症がひどくなって……
私だけではもう、介護できないんです。
でも、施設に入るお金もない。
だから母を、ちゃんとした介護施設に
入れてほしいと、お願いしました。
その方が母にとっても幸せだと、
そう思ったんです」
「そうか……
君がここで働いているうちは、
安心してお母さんはその施設に
いられるだろうね」
京一郎は意味ありげな笑顔を
塔子に投げかけて、
ある客室の前で立ち止まった。
そしてその部屋のドアを、
二度、ノックした。
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