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「ああ、はい、こんばんわ」
私はあやふやな言葉で、咄嗟に礼を返せませんでした。
男の子は梨々香さんより少し背が高く、紺地の浴衣を崩さずにキチンと着込んでいます。
長い前髪が目にかかり少し邪魔そうですが、全体的に清潔感を持っています。
並ぶふたりは妙にしっくりとしていて、悪い印象はありませんでした。
まさか、彼を紹介するために私を呼んだのでしょうか。
…それならそれでいいかもしれない、と気持ちが緩みかけた時、梨々香さんはパッと表情を変えて、私の浴衣の袖を引きました。
「テンチョーさん、こっち来て」
キュッと手を握って引っ張ると、観覧車を待つ人の列の方へ歩き出します。
彼氏くんも黙ってついて来ます。
もう私も、されるがままでした。
「ね、あのおじさん」
人の列をかき分け、観覧車の向こう側に出て、梨々香さんは私の手を離しました。
「ウチが浴衣見てた時に来たおじさんだよね、子供つれて。テンチョーさんの知り合いっぽかった人」
梨々香さんの言葉を待たず、私の息は止まっていました。
愛娘と一緒に、家族の元へ帰っていったはずの人。
観覧車の裏側にポツンと置かれた古いベンチに腰を降ろして、その人はぼんやりと、人々の喧騒を眺めています。
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