夜明け前まで

28/30
前へ
/32ページ
次へ
「陸奥屋の社長さんのご好意で、結婚式場の衣装部の仕事を紹介していただきました。イチから会社勤めで、いろいろと心配してるところなんですよ」  精一杯軽い調子で話して、やっと一息つきました。  その人は、それまでの饒舌が嘘のように黙りこんでいます。  その時、頭の上にあったスピーカーから、音楽が聞こえ出しました。  陸奥屋最後の、蛍の光です。  …潮時、でしょう。 「私、これで失礼します。…話が出来て良かったです。どうか、お元気で」  これでいいんです。  これで、今まで通り。  ベンチを立ち、頭を下げ、そのまま立ち去ろうとした私に、その人は静かに話し出しました。 「…陸奥屋が閉店と聞いて、僕はいてもたってもいられなかった。ここがある限り、君の居場所はわかる。…僕の拠り所だった。」 「……」 「妻が浮気をしても、僕は怒れなかった。離婚したいと言われても引き止めなかった。…どこかで負い目があった。彼女は知ってたんだ。僕が誰かに未練を残したままだってことをね」  責めているというよりも、もっと重い後悔がそこには滲んでいます。  私はその場に立ち尽くしたままでした。
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

39人が本棚に入れています
本棚に追加