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「そこのあなた。タケル。二階堂孟」
「……え? 俺ですか?」
俺は戸惑わざるを得なかった。毎日夜遅くまで募金活動を地道に続ける若い女性のほか、とぼとぼと改札へ歩いていく数人のくたびれたサラリーマンしかいない駅。この伊老駅では誰かに会うことすら珍しく、話し声などほぼ聴こえない。ただただ時折通る電車が線路をなぞっていく音だけが老朽化した建物を揺らしている。そんな中だった。どこか浮世離れした雰囲気の八十代くらいのおばあさんが俺の背中にそっと触れながら俺を呼んでいた。
「そう。あなた」
彼女はふわっとした声で俺の周りの空気を震わせている。どこか占い師みたいな雰囲気のおばあさんだと俺は思った。年相応に真っ白な髪だ。とはいえ、生気を失ったようなパラパラとした髪ではなく、どこか艶やかさを残した綺麗な髪だ。俺の半分くらいしか無いようにすら思える小柄な体の腰まで届いている。
「私はあなたの時間を知っている」
「俺の……時間?」
「ええ。あなたの時間」
俺はますます困惑するしかなかった。静かに神妙そうに頷く彼女は、それが自然かのようにその揺らめく焔のような声で俺を捉えている。
「あなたの時間は今日劇的に変化する。線的に進むのみだったあなたの時間は、今日という日をもって感情的になる」
「感情的?」
「ええ。すべての始まりであって、始まりじゃないことが起きる日。でも安心して。それはあなたにとって必要で必然。だから進んで。たとえ何が起ころうとあなたはあなたの決断を、あなたの心を信じて進んで」
「は、はあ……あの、おばあさん。俺、占いなんて――」
「あなたに逢えてよかった」
そう言って彼女はふっと表情を緩めると俺とは反対方向へ去って行った。不思議な笑みだった。歳を取っているはずなのに、その皺がその瞬間だけすうっと消えて幼い子供のような姿が垣間見えた気がする。
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