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 それは、俺にとっては突然の事だった。 『佑、すまないがいいイタリアンの店を知らないか?』  加賀地からの申し訳なさそうな言葉に、俺は少し驚いた。  加賀地はこれでも、俺の務める会社の社長だ。仕事中に、プライベートなお願いなんて今までされたことはない。その辺は、わきまえている。 『いくつか知っていますが』 『見繕ってもらえないかな? あまり、堅苦しくない店で』  何かが、どこかに刺さった。例えるなら、喉に小骨が引っかかったような、そんな痛み。だが引っかかった場所は、喉ではなくてもっと大事な場所のように思えた。 『構いませんが。よろしければ、俺が取りましょうか?』  デスクの一番下の引き出しから、ファイルを引っ張り出して加賀地の前に持っていく。俺の秘蔵データだ。接待などに使う店をピックアップするのに、自分で調べて気に入った店をファイリングしている。どれも、価格ではなく店の雰囲気やサービスなどで選んでいる。 『こちらは、パスタに力を入れています。路地裏ですが、落ち着いて食事が楽しめます。こちらは家庭料理がメインですね』 『落ち着いて話がしたいんだが』 『では、こちらが。日時は?』 『今週末。と、言うのは急すぎるかな?』 『確認してみます』  俺は、何か胸の中がザワザワと落ち着かない事に不安を感じていた。別に、加賀地とは仕事の関係で、たまに飲みに行く程度の間柄だ。彼がプライベートでどんな事をしていたって…。 『…人数は?』 『二人で』  『どなたと?』と、聞きそうになって俺は踏みとどまった。  知って、どうするつもりだ。  関係ないだろ?  そう、言い聞かせている自分に気づいて、俺は大いに焦った。  無事に予定の日時で店の予約をし、場所の地図と連絡先を教えて、その日の業務を終えた。  もやもやとしたものが、残っている。  なぜこんなに気になるのか。他人のプライベートになど首を突っ込まない方がいいだろ。分かっていても、何かが割り切れていない。  一晩たっても、一日たっても、俺の中で謎の感情は渦巻いている。名前を知らないその感情に振り回されて、正直疲れ切ってしまった。
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