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引き金
子供だ。
この猛吹雪の中に子供がいる。
真っ白な着物をまとった、少女。
だが脇腹は真っ赤に染まっている。
――血だ。
「おい!」
吹雪に声は掻き消され、少女はこちらに気が付かない。
先ほど聞こえた銃声。
猟師が獲物と間違えて少女を撃ったのか。
しかし何故、このような猛吹雪の山の中にこの少女はいるのか。
「おい! お前大丈夫か!」
少女の視線を辿ってみると、その先には大きな体躯の猟師が猟銃を手に立ちはだかっていた。
銃口からは細い煙が出ている。
あの猟師が撃ったに違いない。
異変に気付いて猟師が駆けつけたのだろう。
しかし――
「おい! お前何をしている!」
銃口はまっすぐ少女に向けられた。
「おい!」
喉が裂けそうなほど叫ぶが、やはり声は届かない。
何をしている。
何故その子を狙っている。
そのようなことを叫びたいがうまく言葉が出ない。
猟師が少女に何かを叫んでいる。
吹雪にかき消されて何も聞き取れない。
少女は微塵も揺らぐことなく猟師の言葉を浴びている。
「やめろぉ!」
ようやく言葉が届いたのか、少女の視線は猟師の脇をすり抜けて、つ、とこちらに移った。
だが猟師の方はこちらの声が聞こえないのか、あるいは聞く耳をもたないのか、肩を怒らせ銃口を少女に向け続けている。
指は今にも引き金を引きそうだ。
この状況下で七つ、八つほどしか年端のいかない少女が、雪に吹き付けられながら眉ひとつ動かさず、じぃっとこちらを見つめていた。あれは人形だと言われればそうであろうと納得できるくらいに、動揺の欠片も見えなかった。
「おい! 逃げろお前! 殺されるぞ!」
何をやっている。
返事はない。逃げようともしない。
そして、引き金にかけた猟師の指に力が入り、ついに銃口は火を吹いた。
雪山に轟音が轟く。
真っ白な着物に鮮血が散った。
倒れたのは――猟師。
「怪我はないか!」
火を噴いたのは、己の猟銃。
火薬の臭いが吹雪に混じる。
猟師の体から噴き出した血が、少女の頬を伝った。
「聞こえているのかお前! 今そっちへ行く!」
少女に駆け寄り改めて顔を見ると、出血しているせいか肌は抜けるように白く、目はひどく虚ろであった。しかしそれは怪我のせいだけではないように思えた。
「大丈夫か!」
少女がゆっくりと口を開く。
「死んでも、良かったのに」
「阿呆かお前は!」
なんだか腹が立った。
「お前何かしたのか? 何かしたから狙われたのか?」
こちらをじぃっと見つめる、虚ろな目。
お前にこの声は届いているのか。
「どうなんだ。何か悪さしたのか?」
少女がゆっくりと、首を振った。
それを見て少しほっとする。
「……でも、私がいることが災いだと言うではないか」
「なんだそれは。そんなこと誰が言った」
少女の虚ろな目に、少し驚いたような色が見えた。
何故この子はこんなに卑屈になっているのか。
何故少女は銃で狙われていたのか。
「お前、親はいるのか?」
一呼吸おいてから、少女はゆっくりと首を振った。
「他にお前を待っている者はいるのか?」
「そんな者は、誰もおらぬ」
「ならばお前、俺と来い」
少女の目が、わずかに見開いた。
「俺と一緒に来い!」
無性に腹が立って、無性に心配になって、放っておくことはできなかった。
少女の虚ろな目がわずかに、光を帯びた気がした。
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