ドバイルの戦争

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 猛牛の名を思わせるその突破力は、確かに非凡である。 それ故に死線をくぐり抜けた事も、両手の指で足りない。 だがドバイルには、ゴートの戦いぶりが「野卑」「蛮行」の域を越えるように思えなかった。 「戦はしないほうがいい。  戦は最後の手段だ。  バルザム将軍のように侵略を繰り返すのは、愚かなことだ。  また、やむなく戦をするにしても、敵味方互いに死者を減らすのが、将としてのあるべき姿だ。  国土を豊かにするのは領土の拡大ではなく、開墾と商業と技術。  軍事は攻めるためではなく、その圧力で交渉を優位に進めるための道具だ。  南方の猛牛のように、いたずらに兵を消費するような戦は、国内外を著しく疲弊させる、いわば単なる自己満足だ。  一国の将ならば、戦場ではなく、自分の国でさえなく、世界のあり方を真剣に考えるべきだ。  世界のあるべき姿において、自分の国が、今の戦場が、どう動くべきかを考えなければならない。  猛牛などは、目の前の戦場すらまともに見えていない」  これはドバイルが生前、助手の若者二人、フォルタとマルタに語ったことである。  さてその猛牛ゴート。  今や大国ベイシュラの総帥である。 人情に厚い男として、国内では実に人気がある。 戦場では極めて勇猛で、無謀なまでの突撃をするが、民には優しい。 侵略した敵国の民にさえ、手厚く保護をし、比較的すんなりと平定してしまう。 戦よりもむしろ、戦後統治の能力が優れている。 戦死した兵の遺族にも手厚い。 それは多分に、弟を戦死させた自らの経験に依るところが大きい。 「戦は華々しいが、人が多く死ぬ。  残された者は途方にくれる。  せめてそうした人々を、わずかでも援助するのが、軍人としての務めだ」  そういう考え方が、人気の理由である。 しかしその一方で、戦を誉れとし、軍の激突を是とする。 強力な軍事力を背景に、侵略戦争も数十年繰り返してきた。 ドバイルにはその辺りが苛立たしい 「結局彼は、利己的な軍人であり、その程度の権力者なのだ」  彼が今回ベイシュラを攻撃対象に選んだのは、もしかするとこうした生前の考えが影響しているのかも知れなかった。
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