第百十七話、皆川城(栃木県栃木市)

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第百十七話、皆川城(栃木県栃木市)

このお城、面白い形をしております。 上から見るとソフトクリームのくるくるした部分とか、巻貝のサザエみたいな形なんですよ。 蚊取り線香を、真ん中を摘まんで上下に引っ張った形に曲輪ができており、大きく見れば武者走りか腰曲輪が一つの山にくるくると回っている形と申しましょうか。 古式山城の輪郭式の縄張りだとは思うんですが、なんとなく微妙に違うような……。 現地の説明板を見てみましょうか。 えー、室町時代、皆川氏を名乗った長沼秀宗が築いたこの城は、山の形をそのまま利用したものでその形から「ほら貝城」とも呼ばれている。 なるほど。 何式かはよく分かりませんが、巻貝の形なのは間違いないようでした。 さて皆川城ですが、現地を散策してみると下草は良く刈られておりとても登り易い城跡です。 案内版は一応出てますが、何と無く足を進めるとそれなりに二の曲輪、一の曲輪へと進める構造のようです。 途中で出て来る竪堀は見どころの一つ。 山腹に「城山」と構築された電燭(?)がある所を見ると、夜になるとライトアップされるのでしょうね。 また山裾各所に施された曲輪は良く保存され、少人数で籠るには程良い要害だった事が伺われます。 段曲輪が幾重にも重なりそれが山形に折れている所は自然の横矢掛りのようです。 前方を攻めている最中に前後や左右から矢が飛んでくる構造は良く出来てるなぁと関心仕切りでございました。 ただ、敵にいきなり直登されると防ぐ事が至難となりそうなところは面白いところかもしれません。 そろそろお城の歴史と参りましょう。 皆川城を有名にしたのは戦国末期、北條家に属した皆川広照公でしょうか。 この方は織田信長に名馬を送って誼を通じたり秀吉とも通じたり、北條氏直が大軍で攻めて来た時には佐竹宇都宮連合軍と共に戦ったが岩船山城を落とされ、戦後和議が整うと北條氏に降ったり。 また暫くすると、唐沢山城主になった北條氏忠を攻めて敗退し、またまた暫くすると、北條氏に降って宇都宮城に攻め入ったそうでございます。 そして小田原の役が始まると、皆川氏は北條氏に属して小田原城の竹の下口を守っていたとされますが早々に秀吉に降って長沼城を安堵されるも、皆川城には北條家臣が軍監として入っていた為合戦となり落城を迎える事になりました。 離合集散果てしない関東豪族の一人、皆川氏の居城法螺貝城。 面白い歴史と形をご堪能あれ。 image=485734158.jpg
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