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またまた随分と日を開けてしまった100銘城エッセイですが、前回のお知らせの通り軍配山とか、その他を語って行きたいと思います。
さて。
今回の俎板に上った軍配山ですが、そもそもここは竪穴式の円墳と言われる古代の墳墓だそうです。
推定では4世紀ごろに造られたのではないかとの事で、昭和5年の発掘調査では(地元の人が掘り起こした、との事なので、もしかすると正式な調査では無いかもしれませんが)鏡などの副葬品が多数発見されたそうです。
しかし、この古墳に歴史の光があたったのは昭和の発掘調査ではありません。
時は天正10年、天下統一に王手をかけた織田信長が京都本能寺で明智光秀に討たれてから、関東方面軍総司令官であり関東管領となっていた滝川一益は関東に残るか京に戻るか、二者択一の選択を迫られておりました。
関東着任後たったの三カ月。そんな短い間に関東諸将がそうそう信用できる者達になるはずもない事は一益自身が良く分かっている事。
だが、悶々と徒に時を過ごしては中央の情勢に取り残されてしまいます。
腹を括った一益は、呼び集めた関東諸将の目の前で信長横死を知らせました。
そこで一言。
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