第百十九話、軍配山(群馬県佐波郡玉村町)

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「我らは上方に馳せかえり、織田信雄、信孝両公を守り光秀と一戦して先君の重恩に報いねばならぬ。この機に乗じて一益の首をとり北條に降る手土産にしようと思うものは遠慮なく戦をしかけよ。それがしは北條勢と決戦を交え、利不利に関わらず上方に向かうつもりだ」(上毛古戦記)ウィキペディア調べ。 これは関八州古戦録の巻十一、「本能寺の悲報関東に伝わる」にもほぼ同様の事が書かれているところをみると、よほど有名なセリフだったのかもしれない。 そして一益の言葉を聞いた関東諸将は、 「滝川氏の腹蔵ない言葉に感じ入りました。もし本当に北條家と一戦に及ぶ時は、むしろ我々が先陣を承りましょう」 と言ったとかなんとか。 とまぁこんな事で滝川・北関東連合対北條家の合戦に突入する事になるんですが、緒戦は滝川勢の攻撃から始まりました。 最初に攻められたとされるのはこの軍配山近くにある北條氏邦(藤田氏邦)の家臣、斉藤光透とその弟基盛が守る金窪城とのこと。 (写真は金窪城の対岸にある川井城。この川井城は、いまは民家前の神社になっておりますが、川の畔の小高い台地にあったようです) 北條勢、いきなり城を落とされます。 そして本戦は神流川沿いで行われたと言われ、その合戦の始めの頃は滝川勢に散々斬り立て追い立てられ、北條氏直が2万の兵を率いているのに3千の滝川勢に追いまくられました。 弱いぞ氏直! image=488912360.jpg
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