第百十九話、軍配山(群馬県佐波郡玉村町)

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ここで当主氏政が弟氏規の軍勢を投入。 流石に「知勇兼ね備わり信義仁徳に厚い」と言われた氏規だけに、一益勢と一進一退の攻防を繰り広げました。 それを見た北関東勢、なぜか出足が鈍くなったようです。 いつもの日和見根性が出て来たのでしょう。 こうなると形勢は一転、北條勢が俄然有利になって行きます。 最初は一益に追い立てられていた北條氏直の軍勢も兵をたてなおすと再度滝川勢に攻めかかり大混戦となりました。 結果、北條勢も数百人が討ち取られたようですが滝川勢も夕刻までには潰走しており、気がついた頃には一益を追うような形で信濃まで攻め入っておりました。 この時既に駿河から徳川家康、越後から上杉景勝の軍勢も信濃方面に攻め入っており、天正壬午の乱に発展して行くのでした。 戦国期を通して関東地方の最大の合戦と言われている神流川合戦。 緒戦には滝川一益がそこに立って軍勢を指揮したとされる軍配山を見に行くのも一興でございますぞ。 image=488912423.jpg
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