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第百二話、長井戸城(茨城県猿島郡境町)
このお城はいつの頃からか築城されて、いつの間にか歴史から消え去った全く不明とも言えるお城でございます。
一応ぼんやりと伝えられている事は、もしかしたら築城主は菅谷氏ではないのかな?と言う点くらいであり、誰がどの時期にこの城に入っていたのかはっきりしません。
地理的に関宿城、逆井城、水海城の中継地とも言える位置にあるのですが、そもそも言い伝えにある菅谷氏が何者なのか全く分からず、謎だらけとも言える城跡でございました。
まぁ常州小田氏の家臣で土浦城主に菅谷氏がおりますが、もしかするとこの家となにか関係があるのかも。
小田氏は河越夜戦の時に公方方として参戦しておりますしね。
ただ土浦城とは40㎞程も離れているので、この城と直接の関わりがあったかどうかは不明。
さて、もともとこの境町近辺は古河公方のお膝元とも言える土地で、公方家家宰、梁田氏の蟠居する関宿城とは目と鼻の先。と、言うよりは出城だったのか?とも言えるほど近い位置に築城されております。
東方面には公方奉公衆でもあった逆井氏の籠る逆井城もありましたが、そもそもはその公方奉公衆達の城を連絡する砦だったものを、後年後北條氏が関宿城と逆井城を盗った時、それの連絡城として改修したのかもしれません。
現在は香取神社が城跡中央、土塁に囲まれながら鎮座ましましておりまして、近隣の方が初詣や七五三の詣でなどをされる村の鎮守的な存在に変わっておりました。
遺構も小規模な城跡にしてははっきりと残っており、東側の道路沿いにある堀等を見ると、在りし日は5m以上深く穿たれた堀が存在し、今は風化によって高さが削られてしまった土塁が2~3m程は高かったんだろうな。とも思わせてくれる城跡でございますよ。
あ、そうそう、廃城になった時期ですが、おそらく小田原の役と同時期ではないかとも言われておりました。
誰が暮らしていたのか分からないながらも遺構がしっかり残る城、長井戸城。
近隣の古河公方奉公衆のお城、柳橋城・小堤城・関宿城・水海城・逆井城等と共に散策してみるのは如何でしょうか。
後日談
東国闘戦見聞私記の中に「長井戸の左京殿」の文字を見つけました。が、残念ながらそれだけで、左京殿が誰なのか、そこにも詳しくは載っていませんでしたとさ。
長井戸城の城主はほんとに誰なんでしょうね。
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