第1章

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食べ物歳時記こぼれ噺 ③ うなぎと鵜難儀     (六代目三遊亭圓生の語り口調で)  うなぎと言えば土用の丑の日。土用の丑の日と申せばうなぎと、これはもう決 まっておりますようですが。  土用の丑の日というのは一年に何度もございますので、なにも法律かなんかで そういう日が定められているわけではありませんでして。なんでも江戸時代に発 明家の平賀源内という人が、あまり流行っていないうなぎ屋に頼まれて宣伝用に 考案したとか、いや狂歌師の蜀山人こと太田南畝が、やはりご同様の売れないう なぎ屋に頼まれて考え出したとか言われております。まぁ流行らないうなぎ屋の ことですから、味のほうもたいしたことはなかったのでしょうし、うっちゃっと けばいいようなものですが。なにも土用の丑の日に限ってうなぎのほうから「今 日のわたしは美味しいのよ」などともちかけるわけではありませんので、これは もうお節介な宣伝のせいでしょうが、うなぎの蒲焼なんぞはいつの季節に食しま しても美味しいものでございます。  お節介な人というのは、いつの時代にもおりまして、大伴家持(おおとものや かもち)という、この人は奈良時代に『万葉集』の編纂を手掛けた歌人、歌詠み として知られておりますが、夏バテ気味の知人にうなぎをすすめたとか、夏バテ で痩せている知人をからかったとも言われますが、そうした面白い歌を残して おります。この大伴家持という人はちょいと変わった経歴の持ち主でして、歌人 というだけでなく宮廷につかえて中納言という高位にまで出世したんですが、な かなか勇ましいと申しましょうか、血気盛んなところがあったようで。と申しま すのも、生涯に幾度も謀反とか暗殺という物騒な事変に関わっておりまして、そ のたびに罪に問われながらもまた宮廷に復帰するという、実にうなぎのようにし ぶといところがございます。  もともと大伴家は、天皇の親衛隊を務める武門の家柄ですので、どこか猛々し いところがあったやもしれません。ご参考までに申し上げますと、先の戦時中に つくられました『海ゆかば』という軍歌は、大君こと天皇への忠誠を誓った大伴 家持の歌をもとに作曲されたものでございます。
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