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嫌な胸騒ぎがする。
夜遅くまで魔導書を読み耽っていた時、少年は突然そんな感情に駆られた。訝し気に眉を顰め、澄んだエメラルドグリーンの瞳を瞼で覆うと辺りの気配を探り始める。くすんだ金色の髪が本を照らしている小さな光を反射して身体が揺れる度にひっそりと光る。
...気のせいだろうか?
言いしれない不安を抱きながらも特に周囲に異変は感じない。こんなに夜遅くまで起きているからだろう、神経が少し過敏になっているのかもしれない。そう自分に言い聞かせながら再び魔導書を読み始める...しかし一向に胸騒ぎは収まらず、本を読むことに集中できない。この様子だと容易に眠ることもできなさそうだ。
「ふぅーだめだな、表は雨だが少し外の空気でも吸いに行くか。」
少年は深くため息をつくと明かりを消し、椅子に無造作に掛けていた上着を羽織ると部屋の扉を開けた。どこに向かおうか、一瞬そんなことを考えたが真っ先に頭に浮かんだのは中庭だった。少年は小さく欠伸をしながら人気のない廊下をゆっくりと歩き出したーーーー
少年にとって中庭は心休まるかけがえのない場所であった。立場上この国の王子として息苦しさを感じる日々、そんな時は決まっていつもその中庭で気持ちをやわらげていた。心地良い噴水の水の音、風になびいて揺れる荘厳な大樹、そして豊かな香りで魅了する色とりどりの薔薇の花...しかし、今はいつもと違う雰囲気の中庭を目の前にただただ唖然としていた。まるで別世界にいるようだ。赤黒く染まった不吉な満月が強い存在感を出しながら辺り一面を照らしている。周囲の厚い雲が止めどなく雨を降らせ、その音が不気味に反響して辺りに響いている。
『アーサー!大変なのっ!!』
そんな静寂の中、突然耳に入ってきた聞き慣れた声。少年はその声の方向へと視線を向ける。穏やかな輝きを放つ小さな身体と美しい4枚の羽根...妖精である。その声に続いて複数の妖精たちが次々に姿を現すと、忙しなく少年の周りを飛び始める。彼女らはこの中庭に住まう住人だ。
「お前たち、一体どうしたんだ?何だか様子が変だが....」
『そんな呑気なこと言ってる場合じゃないわよ!一大事なのよっ!!』
焦りの色を見せながら怒る妖精の一人がアーサーと呼んだ少年の髪の毛を出入口の方へと無理やり引っ張る。
「痛いってーの、いきなりどうしたんだよ。ちゃんと話してくれなきゃわからねぇだろ?」
アーサーは引っ張られている髪の毛を押さえると、その妖精を宥めるように優しく言葉をかける。
『だから、そんなのんびりしていられないんだってば!このままじゃあの子が大変なのよ!!!』
”あの子”、妖精たちがそう呼ぶのはここでは一人しかいなかった。
「どういうことだ?エリーの身に何かあったんだな!?」
『私たちは何もしてあげられないの...あの子を救ってあげて!お願いアーサー。』
そう言いながら妖精は涙を流す。妖精たちとは物心付いた時からの長い付き合いになるが、こんなにも感情を露わにすることは滅多にない。その様子から一刻を争う状況であることが嫌でも伝わってくる。
「当たり前だろ!だがエリーの気配がどこにもねぇ、あいつは今どこにいるんだ!?」
『それは妨害されているからよ、今あの子は王の間にいるわ!』
アーサーはその言葉を聞くとすぐに出入口の方へ向かおうと踵を返した。しかし差し迫った状況であるにもかかわらず、その動きを止める。
<ーーーーーーー。>
「...何だ?今あいつの声が聞こえたような....」
だがそんなはずもなく、辺りを見渡しても人の気配はない。嫌な予感は大きく膨らむばかりだった。その時、突然二つの強大な魔力の気配が辺りに駆け巡る。一つは全身の血も凍るような禍々しい魔力、もう一つはそれと相対するような温かく慈愛に満ちた魔力。後者の魔力はそう、アーサーがよく知る人物のものであった。直感的にエリーの身が危ないことを感じ取ったアーサーは王の間へと全速力で走った。
ーーバンッ
王の間へ辿り着くと、アーサーは一切の躊躇もなく力一杯に扉を開けた。しかし、そこに人の姿はなかった....膨大な魔力の気配だけが、ここで取り返しのつかない何かが起こったことを物語っていた。
「っ!エリーーーーーーーーー!!!」
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