六章 動乱始原

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 それは当然にやって来た。  霊帝、崩御。  それは後漢王朝全体に激震を呼んだ。  何故なら、董卓が次代皇帝候補の両方を手中に入れており、洛陽に駐屯しているからだ。  洛陽には他にも、曹操や袁紹、袁術や丁原や淳于瓊などの諸侯も軍を置いていた。  董卓は洛陽入城後、宦官に殺された何進の軍を自らの軍に吸収した。当初は三千だった兵は数倍に膨らみ、軍事力による高い影響力を持った。  間もなく劉弁が第十三代目の帝位に就き、劉協は陳留王に封ぜられたが、董卓はそれを良しとしなかった。  二人とともに洛陽へ戻る道中、董卓は二人と話している時に気づいたのだ。  劉弁とは満足な会話もままならなかったが、劉協は黄巾の乱の起こりや終息に至るまでを、明朗に語って見せたことから、彼は劉協の方が聡いことを知った。  董卓は劉弁を廃し、劉協を帝位に就かせようとした。今や強大な軍事力を持つ彼に真っ向から反対する者はいないと思われたが、董卓の予想に反し、それは現れた。  丁原である。  黄巾の乱後に執金吾となった彼は、董卓の軍をものともせず、董卓に反対した。  自分に抗する者は排除するというのは、どの世でも常である。  董卓は丁原暗殺を目論見、実行したが、それは失敗に終わる。  丁原の側近の男、呂布奉先の手によって。  彼の武勇はずば抜けており、更に丁原とは義父子の契りを交わしており、暗殺は容易にはいかない。  その時董卓に進言したのは、劉弁の補佐をしていた李儒だった。  丁原を排するためには、まず呂布を味方に引き入れることが肝要。そのために、董卓の持つ赤兎馬を与えることを約束するのが良いと。  最初は渋っていた董卓だが、丁原が死ねば、その軍も吸収でき、軍は更に強くなる。  そう考えを一転させた董卓は、呂布に対する内応の誘いを、李儒に託した。  李儒は見事に手際で呂布を丸め込み、丁原は呂布の手によって斬られた。  最早、誰も董卓の行いを止めることは出来なかった。  劉弁は帝位を廃され弘農王に封ぜられ、劉協は帝位に就かされた。  後に劉弁と、劉弁を今一度帝位に復活させようと躍起になった何太后は共に、李儒の手で毒殺された。  董卓政権はここに誕生したのであった。    §§§§§§§
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