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「ひ、響也さん……」
彼の名前を音にした声は自分でも驚くほどに震えていた。だって、そこに立っていたのは確かに響也さんなのに、私の知ってる響也さんではないようだった。
何もないところをじっと見つめている猫のように、デスマスクのように見慣れた顔には無表情だけが貼り付けられている。それは、腹の底から全身を震えさせるには、十分な迫力だった。
『おい、セラフィーナ。あいつ誰だ?』
『……彼は』
ボーイフレンドだと、続けようとした言葉は喉に突っ掛かって出なかった。響也さんが、ゆっくりとこちらに近付いてくる。
『お前、何だよ?さっき、すんげー睨んでたよな』
「…ハクちゃん、探したよ~」
ただ英語が分からないだけなのか、それとも無視しているだけなのかは分からない。響也さんは、私の目の前まで来た瞬間、それまでの無表情をいつものヘラリとした笑みに変えた。
あまりの変わりようにディオンは息を飲む。私も、手先から心臓まで冷えていくのを感じた。
「ねぇ、ハクちゃん。オレってハクちゃんの何?」
「…恋人、です」
「うんそうだよねぇ。だったらさぁ……」
そこで言葉を区切り、口許がより深く弧を描いたと思ったら、勢いよく引かれた腕。
『……なっ…!?』
ディオンの驚愕する声が後ろから聞こえてくる。目の前には、響也さんのグリーンの瞳。カラコンをつけていることがはっきりと分かる距離にある。
唇には柔らかな感触と温もり。キスをされているのだと気付いて、慌てて身を引こうとしても、腰を響也さんの腕に捕らえられ、逃げられない。もう片方の手は首元をがっしりと掴まれている。
『ふ、ざけんな…っ!!!』
そんな怒号の声と共に今度は後ろへ強く引き寄せられ、すっぽりとディオンの腕に収まっていた。
響也さんは、ヘラヘラと何を考えているのか全く分からない顔で私を見つめていた。睨んでいるようにも見える。
「ハクちゃん、オレはハクちゃんの恋人なんだよねぇ?ならキスしたっていいよねぇ?初めてじゃないんだし。でもさぁ、オレが恋人なのに何で他の男と抱き合ってたのかなぁ?日本ではねぇ、それを“浮気”って言うんだよ~」
さっと血の気が引いていく。響也さんのその目は、見たことがあった。似ていた。
あの時の、ロイスの瞳と。
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