旭と晨

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 水の中、ゆるゆると変質していく体。次第にぼやけて曖昧になる記憶。かろうじて自分の名はわかるものの、どこの何者であるのかは最早わからない。以前は水の外にいたようなのに、なぜ今はこの水の中にいるのか、外ではどんな暮らしをしていたのか、全くわからなくなってしまった。  反比例するように、感覚器官はいやに研ぎ澄まされていく。水の中にいるというのに音がくっきり聞こえるようになったし、水の濁りや細かな泡まではっきり見えるどころか、水の外、空を飛ぶ鳥やら虫やらまで鮮明に見えるようになった。  と、空の色を写した蒼い水の中で、確かに、切り裂く風の音を聞いた。丸く切り取られた虚空に翻る鳥の影。美しい白をした猛禽の羽が一枚、はらり。水面に舞い落ち輪を描いた。  新しい何かが始まるのだ。直感的に晨(シン)はそう思った。そしてその刹那、彼は鳥になっていた。翼を広げ、大空を舞うその鳥に。
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