旭と晨

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 縁側に敷かれた蓙(ゴザ)。そこから自分を抱き上げるその大きな手が、晨の首を絞めたものと同一であることを、旭は知っている。が、別段何をしようとは思わずに、大人しく抱き上げられてみせる。  旭の中には、晨が彼を憎み恨んだ記憶がない。いや、その感情の記憶だけでなく、殺されるまでの数日の、はっきりした記憶もない。 『後に旭の父となる人物に首を絞められて井戸に放り込まれた』という淡々とした事実は覚えているのに、何がどうなってそれに至ったのか、それに対して晨が何を感じたのか、そういった肝心なところ、感情の動きに関わる部分をまるで覚えていないのだ。何かの拍子に消えてしまったのか、はたまた誰かが意図的に消したのかはわからないが。  そのせいであろうか、旭がかの男の手を嫌がることもなく、普通に抱き上げられてみせるのは。  否、そうではない。旭は知っているからだ。その手の温かさを、その優しさを。自分に向けられるものの柔らかさを。
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