序章 夏祭り

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「そうなんだ。どんな姿をしているの?なんで、煙に隠れているの?」 「それは……」 言葉に詰まる。 自分も祖母に聞いたとき、答えを得られなかった。 祖母だけでなく、両親と祖父、伯父にも聞いてみたが、結局、誰一人として“知らなかった”のだ。 この土地にまつわる伝承でも、「夜行さん」の姿かたちに関する語りはほとんどなく、正体は明らかとなっていない。 首の無い馬に乗って、物忌みの夜に夜道を駆けまわる。 物忌みの夜には、決して出歩いてはならない。それを破ると、「夜行さん」に命を持っていかれてしまう。 それ以外のことは、何一つ分からない謎に包まれた神。 神様というより、まるで死神のような存在だ。 しかし、人の命を奪うだけでなく、豊饒を司る神でもあるのだそうだ。 夜行さんに誰かが「連れて行かれた」年は、豊漁になるのだという。 今でこそ、この祭りは豊饒を祈る祭りだが、昔は夜行さんに生け贄を奉げる儀式が行われていた。 自分が子どもの頃、まだこの子よりも幼かった時は、やんちゃを言えば大人たちから「言うことを聞かない子は、夜行さんに連れて行かれるぞ」と脅されたものだ。 そんな子どもだましの常套句でも、本気で怯え、よく震えて泣いていた。 歳をとり、いつからか年寄りの迷信だと笑い飛ばすようになっていった。 けれど、久しぶりに「夜行さん」を目の当たりにすると、迫力というか、得体の知れない不気味さを感じる。 子どもの頃のトラウマなのだろうか。無意識のうちに物怖じしたのか、妙に心細くなり、神輿から目をそらした。 「……それは、分からないんだ。お父さんも何人かに聞いてみたけど、みんな知らないって」 「ふうん」 祭囃子と喧騒に交じって、かすかに潮騒の音が聞こえる。 ふと海を見ると、いつの間にか潮が満ちようとしていた。
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