第一章 晩春の嵐

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「涼たちは、出店?それとも、パレードだったっけ?」 私たち小・中学生はバザーや食品などのお店を出すか、ダンスや仮装行列といった、お神輿の後に続くパレードで何か余興をするかのどちらかだ。 「出店。女子がクレープで、男子がたこ焼きって真っ二つに割れてる真っ最中」 「うえー、それは面倒くさそう。それに、どっちも難しそう……」 鳴夏祭への参加は、地元の子どもたちにとって毎年恒例の行事だが、参加する単位はそれぞれ「クラス」か「学年」のどちらかだ。 幼稚園や保育園、小学校低学年の時は、強制的にお遊戯のようなパレードやダンスを担当の先生の指導のもと、ただ言われた通り参加しているだけで済んだ。しかし、中学年からは「生徒たちの自主性を高めるため」とか何とか理屈をつけて、生徒たちがほぼ自力で企画から実行までを行わなくてはならない。 そのため、毎年まとまりのない学級では鳴夏祭の出し物では始終もめる。 何をするのか、どうやってするのか、費用やらスケジュールやら役割分担やら、結束力のないクラスは何をやってもグダグダだし、出し物もどこかパッとしないことが多い。 「そうなんだよ。僕はどっちでもいいんだけどさ、みんな真夏に生クリームとかタコとか、小学生が衛生管理から調理まで完璧にできるはずがないのに。どうするつもりなんだろ」 おおよそ小学生らしからぬ口ぶりで、涼がため息まじりにつぶやく。 「そう言うアンタは、何がしたいの?」 「展示物」 「え?」 聞き返した私に、さらにため息をつく。 「だから展・示・物だってば。鳴夏祭の歴史をまとめたやつとか、クラス全員でお祭りの絵を大きな紙に書いたやつとか。会場か公民館か、神社にでも飾らせてもらえばそれでいいじゃん」 わが弟ながら、地味なアイディアだった。 たいてい、出し物はパレードの参加か出店を出すかのどちらかだ。展示品を作るのはもっぱら、部活とか、地元の文化サークルに所属している人たちだ。書道や絵、工作などの作品を公民館の展示室に並べたり、神社に奉納したりする。 「それじゃ、お祭り当日は何もすることないじゃない」
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