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「カホ センセイ ワタシ イマデモ アノヒ オモイダシマス。」
顔に深い皺が刻まれながらも、かつて紅顔の美少年だったころの面影が残るクニオは、海岸から沖をじっと見詰めながら私に言いました。
「私も覚えていますよ・・・。」
クニオの言葉に私はそう答えて、水平線の先にある筈の島を私は見詰めました。
37年前のあの日・・・昭和19年9月15日、確かに私はこの海岸に立っていました。
水平線の先にある島は、一ヶ月ほど前まで私達が暮らしていた島から戦場へ変わりました。
遠雷の様な砲爆撃音がこの島まで響き渡り、水平線の向こうからは立ち上る煙と、時折赤い火が顔を出しました。
海も、空も白い星のマークを付けたアメリカの船や飛行機で一杯でした。
無防備に立っていては撃たれるかも知れない、そんな思いが去来しましたが、確かその時はそこまでは考えていなかったと思います。
クニオは、私がかつてあの島で教員をしていた時の教え子です。
人口の少ない島でしたから、国民学校の児童も全員で20名いたかどうか・・・。
私は首里の高等師範を昭和15年に卒業し、宮古で教職に就いたのち、南洋庁の教員募集に応募して昭和17年3月にここ、パラオへ赴任いたしました。
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