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「センセイ アノヒ オボエテマスカ?」
宴も終焉に近づいた時、クニオが言いました。
「覚えているわ。」
私は、お土産に持ってきた日本酒に口を付けると、クニオに答えました。
「ワタシタチ イマデモ カンシャ デス。
タイチョウ サン カンシャシテマス。」
お酒が入ったせいなのか、それとも年のせいなのか、涙脆くなって・・・ぽろぽろと涙を流すクニオに、私は頷いて言いました。
「覚えていてね、君たちが覚えていてくれれば・・・あの隊長さんも満足だと思うから・・・。」
私の言葉に、クニオをはじめ、集まった教え子たちは黙って頷きました・・・すすり泣きながら・・・。
昭和19年の夏・・・そう・・・あの島にアメリカ軍が押し寄せる3週間前・・・。
島にいる人達は、次はここにアメリカが攻めてくる・・・そう確信していました。
6月にサイパン、テニアン・・・グアムが攻撃され、7月にはビアクにも・・・。
そして、それらの島々では、兵隊さんだけでなく居留民も命を失ったという事を私達は知っていました。
軍に協力し、『戦陣訓』にある『死して虜囚の辱めを受けず・・・』に則り、兵隊さん達をはじめ、居留民も最後は命を絶ったのです。
この島に、アメリカ軍が来たならば私達も先人に続いて、『祖国の御盾』となり、日本人として恥ずかしくない最期を迎えようと決心しておりました。
ただ、私達日本人はともかく、現地の方々はどう思っていたのでしょうか・・・。
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