9人が本棚に入れています
本棚に追加
金属バットを握り、重い足取りで階段を下りようとしたとき、
「富士丸が逃げた!」
階下から母の声。
ダイニングに行くと、和室へ逃げたと、母。
「壊されるのがわかったのかしら。かして」
バットを幸子の手からひったくった。
そっとふすまをあけると、真っ暗な部屋の中で、目だけが光っていた。電気の光は冷たく不気味だった。
壁のスイッチで明かりをつけると、母は和室にとびこんだ。
それを待っていたのか、富士丸はいきなり飛びかかってきた。
「ひいっ」
出鼻をくじかれて、足をすべらした。畳で腰を打った。
本物の猫のように素早く足元をすり抜けてリビングに向かった。
幸子がバットを拾い上げた。夢中で後を追う。
テレビ台の上にいた。幸子の姿を認めると、ぴょんとジャンプし、サイドボード、カウチと移動していく。
幸子はそのはやさに追いつけない。空振りをくりかえし、その度に家具を壊しそうになった。
が、しばらくすると、富士丸の動きが急に鈍くなった。バッテリー切れだ。
逃さなかった。振り下ろしたバットが、富士丸の頭に命中した。
ロボット猫はぎゃっと鳴き、動かなくなった。
幸子はその場にすわりこんだ。
自分で壊した富士丸を抱き上げると、涙があふれてきた。
「幸子、今夜、ごみ捨て場にすてにいきましょ」
背中をさすってあげながら、母は優しく言った。
幸子はうなずいた。
「とにかく、だれにも見られないようにね」
その夜、二人でゴミ棄て場に富士丸をこっそりすてに行った。
辺りをキョロキョロうかがいながら、素早くロボットを置き去りにすると、一目散に逃げ帰った。
「もしかしたら、富士丸って、壊れてすてられたんじゃなくて、前の飼い主が困って壊してすてた、とか……」
その可能性に思い至った。
今日もどこかで、ペットロボットは人間が考えてもみなかった行動をとっているかもしれない……。
メーカーによるリコールが発表されたのは、それからすぐのことだった。
〈終〉
最初のコメントを投稿しよう!