第1章

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 しかし、修学旅行が終わり、教師達が受験勉強の早期開始を促し始めた頃。拓斗は沙紀が座る椅子を度々蹴るようになった。この行動の理由としては「俺なんかが起きていて、それなのに他の人が授業中に寝ているのは世界の損失だから起こしてやろう」という拓斗の壮大な自己卑下とボランティア精神が挙げられるのだが、沙紀は頻繁に寝てしまうのだ。名簿番号順に指定されたすぐ後ろの席から見ていて、沙紀の上半身が傾いで椅子から落ちそうになる度に拓斗はヒヤヒヤしたものだ。目の前にいて気づきやすいことも有って、何度椅子を蹴って起こそうとしたのか数えきれない。  そんな形で沙紀を気にかけ始めた拓斗だったが、高校生活最後の夏休みも終わったある日から沙紀の授業態度が急変した。授業中に全く寝なくなったのだ。それはいいことであり咎められるようなことでは無いのだが、妙に感じた拓斗は少しだけ調べ、すぐに答えとなりそうな事実を知った。簡単に言えば、彼女たちの部活が終了したのである。今年何度目かのコンクールで先に進めず、部活を引退した彼女が、いよいよ勉強に本腰を入れたということだ。あまりの切り替えの早さに、理屈は分かっても拓斗にはその行動意欲が不思議で仕方がなかった。 (要するに、相川さんは俺には無いもの……一つの物事に打ち込む情熱、魂を持っていたから惹かれたんだろうな)  ほとんど内容を思い出せないような状態の拓斗をよそに、式典は終わって卒業生の退場が始まる。歩き出せば、そのまま教室まで移動するだけだ。その後短いHR(ホームルーム)が有り、それが終われば沙紀は部活の仲間と合流する為に素早く教室を出ていくだろうということは容易に予想できた。そうなったら、もう思いを伝えるチャンスは無い。 (しかし、俺なんかが出すぎた真似をしていいのかね)  この期に及んで拓斗が迷っている理由はそれだった。拓斗の自分に対する評価はすこぶる低く、「新垣拓斗は否定されることで育ってきた」と断言するほどだ。そんな新垣拓斗は、自分が思いを伝えることで相川沙紀に不快な思いをさせないかと躊躇している。
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