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「それは適当に押してもかからないよ」
苦笑いしながら言うと、オウは「大丈夫」と、にっこり笑う。
同時に電話の呼び出し音が受話器の向こうから聞こえ始めた。一体どこにかけてしまったんだろう。
「はい」と、オウは私に受話器を渡す。遊びのつもりなのかもしれない。仕方ない、オウは少し変わっているようだから。
謝ろうと姿勢を正した所で、電話の向こうから聞こえてきた声に息が止まりそうになる。
「もしもし、誰? いたずらなの? 話さないならもう切るわよ」
何か言わなくてはいけない、それなのに上手く声が出てこない。
「あ……」
「……ねえ、もしかしてあなた、クレア? クラレンスなの?」
その声を聞いたのは三年ぶりだった。どうしてオウが妻の番号を知っているのかとか、そもそも妻の存在を知っているのかとか、そんな事は頭から飛んでしまった。
「芙蓉、そう私だよ。いきなり連絡してすまない」
電話の向こうに沈黙が漂う。芙蓉にとっては話したい相手ではないだろう。当然だ。
すぐに私は名乗ったことを後悔し始める。
「何でもないんだ、間違えて電話をしてしまっただけで」
電話を切ろうとする私に「待って」と、芙蓉は言う。
「何かあったんでしょ。そうでもなければあなたが連絡してくるとは思えないもの。困った事があるのなら言ってみて。力になれる事ならなるわ」
「でも」
「早く言って頂戴。私が余り気が長い方ではないのはあなたも良く知っているでしょ」
芙蓉は私といた頃と変わらない気の強そうな話し方で言う。
「……そうだったね。実は何か事情があるらしい少女を拾ってね」
「いくつの子なの? 誘拐事件とかになる前に警察に届けた?」
「いや、まだなんだ。少し込み入った事情があってね」
芙蓉の吐くため息の音が電波を通して耳をくすぐるように感じた。
「まあいいわ、それで私に何をして欲しいのかしら?」
「彼女の身支度をしてあげて欲しいんだ。彼女はシャワーの使い方すら知らないみたいで」
「シャワーの使い方を知らない少女ね……確かに何だか事情がありそう。いいわ、手伝うのは。でも、あなたアメリカが広い事は知ってる? 私がどこにいるか、知らないでしょう」
私達が住んでいたのはボストンで、妻も仕事を変わっていなければおそらくまだその辺りに住んでいるに違いない。ラスベガスまでは飛行機で5時間はかかる。
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