序章 食ベテル

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 ◆  鏡には、化物の姿が映っていた。  赤黒く光る瞳。口が裂けたような大きな口。刃物のように鋭い鋭利な歯。口から垂れる大きな唾液。口からもれる白い吐息。狼のように息が漏れる。「はっはっ」と、白い息が吐き出て来る。顔の皮膚は黒い。いや、黒い毛皮に体中が包まれたと言うべきだろうか。手を見ても、黒い毛皮に包まれている。指先からは、獣のような爪がのびる。 そして顔は、黒い狼のようだった。  正しくは、狼とライオンを足して二で割ったような風貌と言うべきだろうか。狼を人間にしたような、ライオンを人にさせたような、そんな顔が、今まさに鏡に映っていた。分かり易く言い換えるなら、こういう事だ。  狼人間が――鏡の前にいた。  「う、うぁああああ! なんだよコレェェエエエエッ!」  化物。化物だ。化物がそこに立っている。  それが、狼男が抱いた感想だった。自分の手で、何度も顔を触る。確かめる。狼男になってしまった自分の顔を。認められなかった。こんな姿になってしまった自分を。分かりたくなかった。目の前の鏡に映る化物が、自分だっていう事を――。  「違う! 俺は! 俺はこんな化物じゃ……!」  鏡に触れる。体に触れる。現実が理解できなくて、何度も現実を確かめる。だが、確かにそこには狼男が立っている。黒い、黒い、漆黒の狼男がそこにはいる。気味が悪い。不気味だ。気持ちが悪い。この歯はなんだ。この赤い目は何だ。どうしてこうなった。どうしてこんな化物になってしまった。  ――俺は元々人間だったのに。  雨がしとしとと降って来る。ざぁざぁと強くなる。地面に積もる雪が、濡れていく。雨に溺れてとけていく。窓に雨が打ちつけられる。屋根の上を雨がはねていく。ざぁざぁと世界は雨の音で響き渡る。アスファルトの上に水たまりが出来ていく。雨の世界が、つくられる。  「いやだ」、「いやだ」、「いやだ」、雨の中で、狼男の悲痛の声が微かに響く。  それは、二十歳の誕生日を迎えた夜の話だった――。
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