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女は黙ってナイフを離し、地面へ落とす。それを確認し、男は女へ歩を進めた。
だが、女の懐にはまだもう一つナイフが隠されている。
隙を見せたその時、首をかっきるための。女は思考する。
(こいつを殺してから、この女の装飾品を売り払って高飛びする。猟奇殺人ではなく金品目的の殺人と見られてしまうけど、どのみち彼を殺した容疑でじきに捕まってしまう。こういう盗品は警察の足がつきやすいらしいし、時間との勝負ね)
狂気の最中、それでも人の頭脳は助かるための策を冷静に弄する。
それは醜い醜い悪足掻き。端からみれば愚かしい行為だろう。
だが、
「ああ、ところでお酒はどうだい?もう飲む機会はないだろう。これからの君を想っての餞別だ」
例えどんな状況であろうと、偶然というものはやってくる。
「そうね、頂くわ」
予想にもしなかった言葉だが、女はすぐに頷き男が投げたボトルを受け取る。
隠している武器が銃であったとしても、それがすぐさま打てる状態とは限らない。
安全装置をつけている可能性も微かにだがある。
これで鈍器代わりになる武器もなくなった。
すると手にする酒が、途端に勝利の美酒のように思えてきた。
ボトルに鈍く映る自分自身が、気のせいかこの場ではないどこか別の新天地にいるように見えた。
ーーそう、私は逃げ切る。つきまとっていた不幸をようやく消すことが出来た。
これで私は気持ちを新たに次の人生を……新しい愛を探すことができるんだから……!
酒を一気に呷る。それは無意識の内にカラカラに乾いていた喉に染み込んでいった。
「いいワインね」
「当たり前さ。三十年物のヴィンテージワインだからね」
本当にいいワインだった。思わず殺意さえ忘れ、飲んで味を堪能することに気を向けてしまうほどに。
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