第13話 【初詣】

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ああ…やっぱり。…高瀬先生を覚えていたのね。 ―――ここで、このレジの前で先生が私にビールをくれた、誕生日の夜。 あれからまだ1ヶ月と数日しか経っていないのに、その1ヶ月の間に目まぐるしく変化した、私の状況と環境と心情。 もし、あの瞬間に深津さんと誕生日の会話をしなければ? もし、あの夜バイトを休んでいたら? 私は今でも先生との接点を得ることなく、お金だけに執着し、下半身に蜘蛛の巣を張ったまま刺激の無い、ふて腐れた毎日を過ごしていたに違いない。 そう考えると、あの時店内に響き渡る声で「おまえ。誕生日にバイトしてんの?淋しい女だな~」と、笑い飛ばしたデリカシーの欠片もない深津さんの言葉に、感謝すべきであろう。 「…そう、あの時のドクターです。家政婦をする事になったのは、つい最近だけど。 あの先生は、数年前事故で奥さんを失って…いきさつの内情は話せませんが、私は5歳の娘さんのお世話役として家政婦を引き受けました」 深津さん以外には誰も聞く者はいないと知りながらも、わざと同情を買うような潜めた声を落とす。 「えっ…じゃあ、…奥さんを亡くしてから、男手一つで子供を育てて来たのか?医者みたいなとんでもなく過酷な仕事しながら!?」 「それ以前にも家政婦は入ってたそうですが…急に辞めてしまい困っていたので、それで私が…」 「そうなのか…母親無しでそんな小さい子供を。大変だな。…で?そこで何でおまえが家政婦を引き受けることになったんだ?そこんとこが、さっぱり分からん」 先生の境遇に同情の色を見せながらも、事情を理解するには穴あきだらけの私の言葉を聞きながら、深津さんはさっきとは反対側に首を傾け眉を八の字に下げた。 「へ?…いや、…だからね、いきさつは言えないって言ったじゃないですか。これは家政婦としての守秘義務です!これ以上は、信用している深津さんにも話せませんから!」 思わず口元が引き攣る。 動揺を必死で隠し「守秘義務」を掲げながら鼻を膨らませた。
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