筋金入りの射手達

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 後に世界大戦と呼ばれる戦いの発端となったこの事件は、撃たれた兵士の名前から「アデナウアー事件」と呼ばれる。このアデナウアー事件の現場に後のA国独立特殊部隊隊長であるレダス・エド・ダーンの姿もあった。  世界大戦初期、A国はその物量に物を言わせ進軍し、他国に有無を言わさなかったのであるが、この行為は他国に多大な不信感をばら蒔く結果となり、C、D、E国が同盟を結ぶ事になる。そして、同盟結成から数ヵ月、同盟軍はA軍前線基地に攻撃を仕掛ける作戦が立案される。前線基地が砂漠に面していた事から「砂海の境界戦」として後の世に語られる事とになる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  A国前線基地ーー。同盟軍による奇襲作戦が立てられている可能性があるとして、防衛を行う様にとの通達がA本国首脳部から送られてきていた。しかし、本腰を入れて準備をしている兵士の姿は少なく、寧ろ生温く気怠い雰囲気が基地内部には蔓延していた。それもその筈である。初戦こそ破竹の勢いで進軍していたものの、連合結成後はA国首脳部が進軍に慎重にならざるを得ず、一方の連合も指揮系統の統一に時間が掛かってしまい、戦闘は一時膠着状態に陥ってしまったのである。故にA国前線基地では進軍もせず、攻撃もされないので前線であるにも関わらず生温く気怠い雰囲気が蔓延していたのである。  更に前線基地指揮官であるマルコ・ポロリモンド中佐の対応もこの状況に拍車を掛けていた事も事実である。 「奇襲?あるわけなかろうが」 と上からの命令を軽視し、兵士達に通達があった事こそ伝えていたものの、その段階で止まっていたのである。これはマルコ・ポロリモンド中佐が連合軍の指揮系統と連合各国の特色から推察した見解である。尤も、真面目に準備を行う兵士が居たのも事実である。重装歩兵スパカリ・ドーシャスもその一人である。
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