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あのあと彼は、佐野奏という名前だと明かしてくれた。
「かなでって。あなたにそんなにぎやかな名前は皮肉だわ」
すると彼はひとしきり笑ったあとに、
「君の恵こころって名前も二つの意味で皮肉だと思うね。だって君、まるで中身がないから」
それでとても救われたような気がした。
それまで名前負けしている自分が、酷く哀れに見えていたから。
隣のビルの自販機で飲み物を調達してきた彼は、私の頬にひんやりとした缶ジュースをあててきた。
きっと彼の手も腕も脚も胸板も心臓も、細胞の全てが冷たいのだろう、と一人で勝手にそんなことを考えた。
「ありがとう」
缶に触れている指先が冷えて白くなっていく。
私は暑さでこんなに茹だっているというのに。
屋上の扉の横にある錆びた梯子を上るとコンクリート造りの平たい屋根に上がれる。
時間によっては貯水タンクの影がそこには落ちているので、良き風の吹く今日みたいな日は、陽から身を隠しつつ、そこで街を見渡すことをしていた。
遠くの陽炎を見つめながら静かに彼は語り始めた。
「幽閉されていたイカロスという青年は、集めた鳥の羽を蝋で固めて海へ飛びだったんだ」
「へぇ。それで?」
特に興味もなかったが、そう返しておいた。
「空高く舞い上がり過ぎた結果、太陽に蝋を溶かされ、海に墜ちて、そうして死んだ」
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