七つ緒

1/17
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ

七つ緒

 買った雑誌が机の上に捨てられていた。……と、観光客なら思うかもしれない。  店の隅には、町を紹介した雑誌が騒がしく散らばっている。読む客が誰もおらず、後の祭りを醸し出すのはいつものこと。  言うまでもなく、現地にいる以上は歩くほうが楽しいに決まっている。ハサミを置いているおかげで、雑誌のほとんどがクーポンを切り取られた後だった。  風に煽られてばたばたとめくれるも、絶賛舌戦中の二人を冷ますうちわにすらなりそうもない。額縁に飾られたつたない絵にも、誰一人とて見向きもしない。潮騒は掻き消され、喧騒が店の有り体を口うるさく宣伝している。 「ったく、なんべん言ったらわかんだって!」 「そりゃそうです! 代名詞ばっか使われて動く身にもなってくださいよ! わかるわけないじゃないっすか!」 「お前よぉ、ほんとああ言えばこう言うよなぁ!」  ……と聞こえるはずが、道行く人が聞けば、 「安産祈願にいかがっすかぁ!」 「そりゃそうです! 大安吉日に買って損にならないっすよぉ! 買うっきゃないじゃないっすか!」 「おめえよぉ、ほんといいこと言うよなぁ!」  と、聞こえるらしい。早口恐るべし。  月に一度は、物珍しさに観光客が見物するほどだ。懐かしいわぁ、と良い意味での嘆声を聞いたことがあった。 「パ……社長、佐藤さん。またお客さん勘違いするから」 「あぁ? 漫才やってるってか」 「どう見ても魚屋とかに見えないしょ」  先までの舌戦はどこへやら、二人揃って首を傾げるのだった。 「……はいはい、そうですねっ」  呆れ顔を浮かべた新屋賀保に、佐藤千秋の持つ紙をひょいと取り上げられた。スキャナの取り込み方が悪いせいか、ぱっと見ただけでは何が写っているかわからない。  紙に寄った皺を直し、賀保がクリアファイルに入れて持っていこうとした矢先。 「すみません」 「はーいっ」  やって来たお客さんは年配のおばちゃん二人。歳は六十半ばと見受けられる。気さくに応対する賀保を、呆気に取られて見る二人だった。 「安産祈願のお守りってあるんだって? さっき言ってなかった?」 「いえ、うちにはないですそんなの。赤いお守りならこっちにあります。うちの店のオリジナルですよ」  喧嘩に釣られ、お守りを欲しがるお客さんがまたしても。今日もまた、勘違いのおかげでそれなりに賑わうのだった。新屋の身内にいなくても、「稲苗商店」は今日も明るい。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!