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七つ緒
買った雑誌が机の上に捨てられていた。……と、観光客なら思うかもしれない。
店の隅には、町を紹介した雑誌が騒がしく散らばっている。読む客が誰もおらず、後の祭りを醸し出すのはいつものこと。
言うまでもなく、現地にいる以上は歩くほうが楽しいに決まっている。ハサミを置いているおかげで、雑誌のほとんどがクーポンを切り取られた後だった。
風に煽られてばたばたとめくれるも、絶賛舌戦中の二人を冷ますうちわにすらなりそうもない。額縁に飾られたつたない絵にも、誰一人とて見向きもしない。潮騒は掻き消され、喧騒が店の有り体を口うるさく宣伝している。
「ったく、なんべん言ったらわかんだって!」
「そりゃそうです! 代名詞ばっか使われて動く身にもなってくださいよ! わかるわけないじゃないっすか!」
「お前よぉ、ほんとああ言えばこう言うよなぁ!」
……と聞こえるはずが、道行く人が聞けば、
「安産祈願にいかがっすかぁ!」
「そりゃそうです! 大安吉日に買って損にならないっすよぉ! 買うっきゃないじゃないっすか!」
「おめえよぉ、ほんといいこと言うよなぁ!」
と、聞こえるらしい。早口恐るべし。
月に一度は、物珍しさに観光客が見物するほどだ。懐かしいわぁ、と良い意味での嘆声を聞いたことがあった。
「パ……社長、佐藤さん。またお客さん勘違いするから」
「あぁ? 漫才やってるってか」
「どう見ても魚屋とかに見えないしょ」
先までの舌戦はどこへやら、二人揃って首を傾げるのだった。
「……はいはい、そうですねっ」
呆れ顔を浮かべた新屋賀保に、佐藤千秋の持つ紙をひょいと取り上げられた。スキャナの取り込み方が悪いせいか、ぱっと見ただけでは何が写っているかわからない。
紙に寄った皺を直し、賀保がクリアファイルに入れて持っていこうとした矢先。
「すみません」
「はーいっ」
やって来たお客さんは年配のおばちゃん二人。歳は六十半ばと見受けられる。気さくに応対する賀保を、呆気に取られて見る二人だった。
「安産祈願のお守りってあるんだって? さっき言ってなかった?」
「いえ、うちにはないですそんなの。赤いお守りならこっちにあります。うちの店のオリジナルですよ」
喧嘩に釣られ、お守りを欲しがるお客さんがまたしても。今日もまた、勘違いのおかげでそれなりに賑わうのだった。新屋の身内にいなくても、「稲苗商店」は今日も明るい。
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