美の慟哭

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 エントランスがまた無闇に広く、しかし左手の半分を古着屋に貸してことなきを得ている。古着屋は当然にして閉まっており、仄かな明かりだけが服を亡霊のように浮かび上がらせている。光源・ブラックライトが右手にあり、テーブルと椅子の並んだ待合いが見渡せる。ちょっとしたバーのようでもあり、壁にはペプシだのジーマだのといった看板が煌々と明滅していた。狙っただけあり人影はない。  右奥の受付へ行き、常備されていたベルを鳴らす。カウンター先の暖簾の奥がざわめき、すぐにかき分けながら店長が出てきた。 「お、いらっしゃい」 「あ、どうもです。お久しぶりっす」 「ちょっと前来たばかりじゃんか。ダム?」  くつくつと笑い、返答も待たずにカウンター右の、PCと言うのもちょっと考え物に近い旧型を操作する店長は短髪にロイド眼鏡を掛けた壮年の男で、性格の気さくなこともあり僕達もよく懐いていた。時にはドリンクを持ってきてくれた際に一緒に歌ったりもする。酒飲みもする。バンプがとにかく上手い。何故こんなに無理がきくのかと言えば、単純明快、彼はこの店の店長兼オーナーでもあるのだった。 「はい、フリータイムで。ドリンクは……」  全員でひとつのメニューを覗き見し、あれやこれやと意見を交わす。システムはワンドリンク制であり、最低でもドリンクだけは頼まなければいけなかった、が、その実ここに、僕のこの店を選んだ恐るべき理由が隠されていた。  この店は、とにかく料金が安いのだ。朝の五時までいて、三千円ぽっきり。しかもこれはあくまで部屋の値段であって、こちらが何人で来ようが比例しない。つまりもし十人で来れば一人辺り三百円。これは安い。更に言えばこの店には閉店前に味噌汁を配るといったサービスがあり、これがまたささやかなようでポイントが高い。僕達はこれを――自分達がただ帰らないだけにも拘わらず、純然たる駄々っ子の眼差しで――「お袋さんの味」と呼んでいた。
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