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さて、サルについて述べるならば
最近になって発覚した歴史のトリビアを
述べなくてはならない。
1637年に神童と云われた
天草四郎時貞が農民を従えて一揆を
企てたのが、後に島原の乱と
呼ばれるものであるが、これを
良しとしなかった徳川軍は
全勢力をもってコレを潰した。
その理由はなんだったのか?
答えは、天草四郎時貞が
豊臣家の生き残りであるからである。
豊臣家は非常に狡猾な一族で、
秀吉のように再び徳川家に対して
何時、牙を剥くか分からなかった。
だから、徳川家は何としてでも
天草四郎時貞を潰したかったからで
あると云われていると、ある本で読んだ。
だが、豊臣家と分からないように
したかったので(単なる農民の一揆
ごときを潰したのでは、徳川家の
顔が潰れてしまうから)天草四郎時貞が
信望していたキリスト教のせいにして
「鎖国」の体(てい)を取ったのである。
とまあ、徳川家は安定の為なら
どんな手段もいとわない横暴な面も
あるが、江戸時代によって市民に
定着した文化もあるので否定は出来ない。
(歌舞伎や葛飾北斎などは江戸文化の
代表格と言えるので、戦国時代があったら
今は無いかもしれない、と考えると
徳川のした事を純粋に間違いとは言えない)
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