16 郷愁

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問題は、私。 私は、自分の脆さを知っている。 どんなに言い繕っても、この人に惹かれるのを止められない、弱い自分を知っている。 あのエレベーターでのキスの余韻が覚めやらない今、課長と2人きりになってそれでも自分を保っていられる自身なんか、私にはない。 ごめんなさい。 どんなことがあっても、自分の心を隠し通せるほど、私は強い女じゃないんです。 「課長のことは、信頼しています。でもすみません。やっぱりだめです。ご一緒することは、できません……」 本音を口にすることはできず、 手にした買い物袋をギュッと握りしめ、ただ、当たり障りのない逃げ口上を何とか絞り出す。 落ちかけた視線を上げると、真っ直ぐに私に向けられていた少し鋭さを感じさせる黒い瞳が、ふっと、優しげに細められるのが見えた。 「そうだな」 まるで憑き物が落ちたように、穏やかな表情を浮かべて。 「困らせて、悪かったな。もうこんなことは二度としないから」 『二度としないから』 待っていたはずのその言葉が、胸の奥に深い傷を穿つ。
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