#1 爽子

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爽子が表現したのは、閉じ込められた金魚が何とかそこから出ようともがき苦しむ姿である。 込めたのは暗い閉塞感と、広い世界への切望。 あの和菓子は店の黒い箱に入れた時に初めて完成する――暗い箱に閉じ込められた金魚の自由へのもがきが。 それが全く伝わっていないのは自分の技術がまだまだ未熟なせいだろうか。 それとも見た者の側の感受性、都合の悪いものを濾過し見て見ぬ振りをする習性のせいだろうか。 「申し訳ありません、お母様。少し休みます」 これ以上は聞いていたくなくなった爽子は、また体調の悪い振りをする。 母親はこれでいよいよ爽子を祭りへ連れていかない理由が正当化されたことに満足したのか、「お休みの所申し訳なかったわね」と一言残してすぐに部屋から辞して行った。 爽子は明治時代から続く老舗和菓子屋『風鈴堂』のひとり娘である。 家を継ぐために、いずれは腕のある職人を婿にとらなければならない。 心の通わない婚姻を避けるためにと幼少の頃から自身の腕を磨いては来たが、どうやらそれでもお家の拘束力には勝てそうにないと半ば諦めかけていた。 両親は恐らく、今いる菓子職人の中から爽子の婿を選んであてがうつもりであろう。 耳を塞ぐためにこうして仮病を繰り返していく内に、爽子は本当に臥せりがちになってきていた。 今では一歩家の外に出るのにも両親の許可が必要で、常に監視され、やんわりと監禁されているも同じような生活であった。 もうすぐ二十歳になる。 結婚相手を言い渡されるのは、きっとそう遠い未来ではない。
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