#1 爽子

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夏祭り当日、爽子はひとり縁側に出た。 小さな街である。 住民がこぞって祭りに出かけるこの日、わざわざ店を開けたところで客入りは見込めない。 両親は先の言葉通り、祭りの出店の準備のために早々から出かけている。 雇いの職人数名は店の裏で祭りに出すための菓子を作り続けているが、家屋の側へ足を踏み入れてくることはまずなかった。 街中がざわめきたつこんな日にたったひとりで広い家の中に取り残され、それでも爽子にとっては、それが久しぶりに手に入れた心安らぐ時であった。 日が落ちて闇が訪れる。 僅かに風のある良い日和だった。 涼やかな風鈴の音が耳を掠める。 上空のうす雲は風に流されて少しずつ晴れていくようだ。 きっと祭りの最後の花火はここからでも良く見えるだろう。 爽子はここに長居をする準備として、足元に蚊取り線香を置いて火を点けた。 筋になって煙が昇り、香りが漂う。 この線香の香りが爽子は好きだった。 そしてもしも自分が蚊ならば、と考える。 このまま鈴の音と優しい香りに包まれて、煙とともに高く飛んで、そして落ちて、死して。 それは酷く魅惑的な妄想だった。 遠くから祭りの開始を告げる太鼓の音が聴こえてきて、爽子は自分の馬鹿げた妄想を嘲笑した。 祭りの熱気がこれ以上届かないようにと願いながら、頭上で揺れる風鈴の音だけに耳を澄ませた。 この街の伝統芸能のひとつである太鼓の音よりも、出店の店先で声を張り上げる売り子の声よりも、祭りを盛り上げるために流される音楽よりも、それを楽しむ人々の活気やざわめきよりも、自分はこの音色が好きなのだと言い聞かせて。
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