第一幕

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「綾子さん、お時間です」 スーツのサラリーマンの男が一言告げる。 「そっかぁ…まぁやることはやってきたから一先ず大丈夫かな? うん、あの子はしっかりしてるし!」 その男性の前で母は普段通りあっけらかんとして話している。 いつもの近所のおばさんと話す様子とまるで変わらない。 「自身の不安ではなくて?」 「ん~? 1人の母親としては子供の方が優先なのよ…あっ! でも一言だけ最後に!」 「うわぁ!」 気味の悪い夢を見た。 季節は3月に入ったばかり、冬の季節に春が頭を出すかと思いきや初夏のような暑い日。 掛け布団は熱を持ち、寝間着は汗で張り付く。そして涙と鼻水で汚れた顔で起きた。 「色々と…最悪…」 涙を流すほどの夢でも見たのか? しかし、もういちいち寝ていた時の夢を覚えているほどの歳じゃない。 「いつから…? いや、なんだった?」 寝ぼけた頭は思考と発言と行動がついて行かない。そんな時はとりあえず顔を洗おう。 「あら、おはよう。随分早いじゃない」 洗面台に向かうと朝食を食べ終えた母さんが食器を片付けていた。 「…あっつくて起きた。なんか変な陽気?」 不快で起きたので、イマイチ調子が悪い。蛇口を下げて出てくる水を両手に貯めて顔に何回か当てる。 顔に当てた水も少しぬるかった。 「何だろうかね~偶にあるわね。で…朝ご飯どうする?」 「う~ん…いいや」 「ホント、食べなくなったわね~」 「どうも前の仕事のクセ…ていうかリズムが抜けなくて朝が弱い…昼は食べるから」 5年前父が他界した年に上京して1人暮らしを始め、働いていた会社の業績が悪くなり帰郷して3か月。 「無理して焦らなくても、あんたが元気に過ごせるなら、それだけでいいんよ」 社内のイザコザで正直疲れ切っていた俺の心は母の一言で涙を流した。 父が死んだ時以来の涙だった。 5年間一人で父の後片付けなどをやり、過ごしていた母の心は寂しかったはずなのに… 「今日はなんかやることあった?」 「ん~…まぁ特には。近々なら裏山の遠縁の墓の処分位だけど…それよりも視たの?」 「っ! もう暫く視てないって…とりあえずマナー本読んでるよ。坊さんには昼前位に行って話聞いてくる」 父がいなく、母も齢が齢なので自然と家を継ぐ勉強に励んでいる日々。小さいながらアパートも管理しているのでアルバイトどころでは無い20半ばの俺。
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