14【島の歴史】

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と、 ここまでは私、小田少左衛門のあくまで、憶測と推論による話だが 以下の記述は、歓楽島で見付かった古い文献による物である。 さて。 こうして、 魚人達は歓楽島で平和に暮らしていた。 (実は、まだこの時点では『歓楽島』という島名は付いていなかった) ある日の事。 一人の和人の青年が島の海岸に流れ着いた。 その時、青年は意識の無い状態だった。 魚人達は、その和人を自分達の陸上の『住みか』へと運び、手厚い看病を施した。 その甲斐有ってか流れ着いてから三日後に、青年は目を覚ましたので魚人達は大変、喜んだ。 青年も魚人達に大変、感謝し そのまま島に住み着き、島の外れに自分で家を建て、そこで生活を始めた。 彼は、魚人達に自分の『言語』と『文字』を教え、魚人達は驚くべきスピードでそれらを吸収し、 いつしか青年と会話ができるまでになった。 青年の名前は『月枯義乃(つきがれよしの)』と言った。 彼は自分の過去については、一切話そうとしなかった。 ところで、 月枯は『特殊な能力』を持っていた。 『未来を見る』事ができたのだ。 つまりは『予知能力』である。 『予知』と言っても、一年先、二年先といった遠い未来を見る事はできず せいぜい数日後、数週間後までを見る事ができた。 そして、いつもいつも見える訳でもなかった。 時々、次の日の天気や一ヶ月以内に魚人の誰がケガをする等といった事が見えた。 そして、それはことごとく当たった。 魚人達は月枯をいつしか『神』として、あがめていろいろな『未来の事』を聞くようになった。 そんなある日の事。 突然、月枯が島から姿を消した。 彼は日頃から小さな船を造っていて、それが完成したので島から出て行ってしまった様だった。 魚人達は、大変悲しんだが、生まれ故郷に帰ったのであろうと納得した。 しかし、その数日後、 魚人達は月枯が島から出て行った『本当の理由』を知る事となる。 月枯が島を去ってから数日の後、 おびただしい数の武装した和人達が島に上陸し、魚人達に月枯の行方をたずねたのだ。 彼らは、近海を荒らし回る海賊だった。 そして月枯は、その海賊団の『お抱え占い師』だったのである。 どうやら、月枯はその海賊団から逃げてこの島に漂着したらしい。 そして、 数日のうちに海賊団が、この島に自分を探しにやって来る事を予知した月枯は、 島から逃げ出したのだった。
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