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私の家は、周りを田圃に囲まれた田舎にあった。
私の飼い主であるお婆さんは、木造平屋建ての、雑貨屋兼、駄菓子屋兼、タバコ屋である佐藤商店を営んでいて、毎日を細々と暮らしている。
お爺さんが残した店だった。
昔は店に並ぶ商品の値段を全て覚えていたもんなんだがねえ、と言うのが口癖のお婆さんで、感熱紙の、紫色のカタカナ文字のレシートが出る、古めかしいレジを使って、両手の指に余ってしまうほどのごく少ない常連客のために、日がな一日、籐の肘掛け椅子に腰掛け、ひたすらに客を待っている。
店にならぶ商品の価格は、全て定価での販売であったのに、それでも店には一定数の固定客がいて、お婆さんとのお話のついでに、仏壇に供えるバナナやら、カップ酒やらを買ってくれた。
佐藤商店の入口は自動ドアではなく、扉の前に突っ立ってみても、一向に我関せずを貫く手動ドアであった。
左右対象の、硝子窓がはめ込まれたアルミの引き戸をひくと、半分くらい開けたところでキイキイと鳴く、迷惑なドアだ。
店先には、夏の間だけ、二層式洗濯機のような、霜のたっぷりと付いたアイスクリーム用の白い冷凍庫が置かれていて、その横には、赤錆びた宅配便の看板がひっそりと出ている。
その看板は、少なくとも私より先に、この店に住まう先輩猫であり、仔猫をくわえた抽象的な黒猫の絵だった。
そして、そいつはいつも、荷物の発送を承ります、という、猫にしては珍しく素直で働き者の猫なのだ。
この夏は、お中元の荷物を二、三預かっただけで、主だった夏の集荷業務は全て終る。
最近は、専ら、香典返しの品の配送を承るばかりで、住人の高齢化と過疎化が深刻な村だ。
そんな佐藤商店で寝起きする、私の食事はといえば、主に、お徳用と銘打た、10%増量中だという固形飼料だったし、生活は質素を基本としていた。
たまに貰えるノンオイルのシーチキンの缶詰が唯一のご馳走だったが、それも老眼でよく見えないのか、賞味期限切れであることが多く、大抵はそれを──食欲のそそる匂いのする限り、有り難く賜る私だった。
一度はマタタビの枝を与えられもしたが、私がぷいとそっぽを向いてしまった為に、以来マタタビは与えて貰えなくなってしまった。
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