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そう言うと、母が近場に有った簡易の大阪のアンテナショップで大阪土産を買って来た。
弟と母と三人で待っている間、十五年近く前に別れた父親の話をしていた。
”元気ならよかった”、”年の割に早すぎる”など等、話は尽きる事が無かった。
正直な話、父親には良いイメージは無かった。母子家庭になって仕送りはたった初めの一度だけだった。
唯一、僕ら家族と父を繋いでいた物は、悲しくも”借金”の二文字であった。
しかし、それも私が高校に入る前に、母親の火災保険の満期と共に、全て払ってしまい本当にそこで縁は切れた。
それも大きな要因ではあったが、父と母の共通の知り合いも母子家庭となりそれ所では無くなってしまった事が一番の要因であったのかも知れない。
話は、その後の事の方が実際は多い。”貧乏”と言うには余りに過酷だったからである、この手のネタは我が家では笑い話にしか今はならない。
毎日の様に借金取りが来る日々というのはノイローゼになりそうだった。借金取りに”同情”されてしまう程、僕らの家は貧乏で母子家庭になりよりそれは色濃く出たからであろう。
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