視界の外

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その後体は元に戻り、嫌な雰囲気も消えてなくなりました。シンタくんとお父さんは何も感じていなかったようで、何事もなかったかのように食事を取りながら談笑しています。   ただ奥さんは私の異変に気がついたようで、突然無口になったからどうしたのかと聞かれました。しかし当然答えられるわけもなく、曖昧にはぐらかして帰ったのを覚えています。  普通ならすぐにでも家庭教師のアルバイトを辞めさせて頂くところですが、家庭教師というのは中々途中で辞めづらいものです。シンタくんは幸い中学受験は希望していませんでしたが、私が突然辞めてしまえば彼に悪い影響が出るかもしれません。それと大変ヨコシマな考えではありますが、特別待遇であるこのアルバイトを手放す踏ん切りがつかなかったというのも大いにあります。まあ、さすがに夕食をご一緒させて貰うことは、遠回しに遠慮させて頂いてましたが。  そんな私の気持ちを知ってか知らずか、また何もなかったかのように月日は経ちます。 シンタくん一家の様子は以前と変わらずで、時には軽い夫婦喧嘩の仲裁を任されてしまう程オープンでした。そんな良くも悪くも包み隠していないシンタくん一家を見て、過去遭遇した「あれ」の原因は自分にあるのかも知れない。私はそう考える事もありました。 あれはただの幻覚、アルバイトと学業に力を入れすぎた疲労によるもの。そうであれば「一番都合がいい」し、何も悪いことはない。しかしそう思い込もうとすればするほど、あの日の事が鮮明に頭の中に蘇りました。背中越しに感じる、肌が粟立つようなあの気配。目の届かないところからじわり、じわりと近づく圧迫感。耳に残る生暖かな吐息。目尻の端で捉えたあの人のような輪郭。それらがまるで、自分が否定すればするほど形を成して、自分に近づいてくるような錯覚に囚われていきました。やがて私はその記憶に精神を蝕まれるようになり、ある日家庭教師の授業中、情けないことにめまいで倒れてしまいました。
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