第1章 お岩

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昼下がり。 夏の陽光は、洗濯物を既に乾かしている。 「・・・伊右衛門様・・・」 岩は伊右衛門の浴衣を物干しから取り込み 「伊右衛門様っ・・・!」 それをぎゅう、と抱き締め、顔を埋めた。 『・・・お目汚しで、申し訳ありません・・・』 それは。 見合いの席にて。 余りに無口な伊右衛門に、岩が俯いたまま呟いた、詫びの言葉。 『何をそう仰られるか。』 それに応じ、伊右衛門が始めて口を開いた。 『・・・私の・・・顔・・・』 『造作は整ってらっしゃると思いますが。』 『・・・でも・・・この・・・』 岩は自らの顔、左半分の爛れた部分に、そっと手を添えた。 『お気になされていらっしゃるか。』 『・・・は?』 伊右衛門の事も無気な言葉に、岩は少し、驚いた。 『私も若年の時分には、どうも己の鼻の形が気になりましてな。』 『はぁ?』 『この年になれば、諦めも付きました。』 『い、いえ!わ、私のこれはっ!』 『私は如何に浪人者とは言え、腰に二本を差した武士です。』 思わず立ち上がった岩に対し、伊右衛門は涼し気に応じた。 『・・・え・・・』 『時と場によって、抜かねばならぬ時もある。斬る事も、斬られる事も、或いは在りましょうな。』 『・・・?』 岩は、己の顔を隠す事も忘れ、唖然と伊右衛門を眺めていた。 『そのような立場の私が、瑕疵を特別気にする等、可笑しな話ではありませぬか。』 『!』 岩は、これまでその顔により、様々な目を向けられた。 憐憫。 同情。 嘲り。 嫌悪。 『・・・伊右衛門様・・・』 だからこそ。 今、伊右衛門が自分に向けている、眼差しが。 『・・・岩殿?』 嘘や、慰め、お為ごかし等では無く。 『何故、泣かれる?』 本心からの。 真心の目である事が、理解出来た。 「・・・伊右衛門様・・・」 そんな伊右衛門が、今、自分の良人と言う立場である事を、心底幸せに思う反面。 一度も笑ってくれぬ事を、心苦しくも思っている。 「いっそ、打ち明けて下されば・・・」 その元となるのは、伊右衛門が心の裡に持つ、重く暗い何かである事を、岩は察している。 「・・・でも・・・」 しかし。 それを岩が知ってしまった時。 二人は今まで通りの夫婦で居られるのだろうか。 岩は、激しく煩悶した。
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