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灯台の炎に誘われた蛾が、身を焦がす。
障子戸に、伊右衛門の影が映される。
盛夏にも関わらず閉ざされた部屋。
「呼び立てて済まぬな。伊右衛門。」
やがて、伊藤喜兵衛が姿を現す。
供を連れている様子も無い。
「家で待つ恋女房殿も、さぞ御冠であろうな。何、帰りが遅くなる程度の事は、男の甲斐性と・・・」
「御用件は。」
伊右衛門は察していた。
今宵は”裏”の話の為に呼ばれたのだ、と。
「・・・ふん。」
暫し言葉を切っていた喜兵衛は、脇息に肘を掛け、にやりと笑った。
「その眼。油断をすれば、儂まで斬られそうじゃ。」
「御戯れを。」
「流石”八業”の一つ”斬業”を継ぎし、斬鬼、と呼ばれるだけの事は・・・」
「御用件は。」
「・・・仕事じゃ。」
喜兵衛は視線を逸らし、扇を広げた。
煽ぐふりで、頬に伝った冷汗を隠す。
「其方には、島原に飛んで貰いたい。」
「成る程。」
「・・・知っておるのか。」
「藩主、板倉重昌の容赦の無い年貢取り立てに、農民が一揆を企てている、とは。」
「流石、耳が早い。ま、所詮、板倉など大名の器では無かった、と言う事じゃ。」
喜兵衛は漸く落ち着いて来た物と見え、からからと笑った。
「では、百姓共が担ごうとしている神輿の名は。」
「それは存じませぬ。」
「益田四郎。今は天草四郎等と名乗っているそうじゃ。」
「天草・・・」
「瓢箪の馬印を掲げておるらしい。」
「・・・豊臣の?」
「秀頼の落胤、等と言う噂はある。」
一時、豊臣秀吉は瓢箪を馬印として使用していた。
もしそれが事実なら、徳川の御代に於いては容易ならざる事態である。
「しかも、その軍師は・・・森宗意軒らしい。」
「・・・」
伊右衛門の眉が、ぴくりと動いた。
「八業の創始、森宗意軒。其方にとっても、師、と言う事になるな。」
ちり、と言う音を立て、灯台の灯りが揺れる。
それに伴い、影が小さな歪みを作った。
「何れを。」
やがて、伊右衛門が沈黙を破った。
「ん?」
「何れを斬れば。」
「全部じゃ。」
「承知。」
「・・・森は、其方の師であろう?」
「それが、如何致した。」
「恐ろしい男よ。命さえ下れば、恋女房でも殺し兼ねん・・・」
瞬時、向けられた眼差しに、喜兵衛は再び扇を広げる羽目に陥った。
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