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静かで涼やかな夜なのに、胸の鼓動だけはやけに騒がしい。私は逃げ出したくなるのを抑え、封筒を手に取った。その声に逆らうなんて出来るはずもなかった。
封筒の中には、先生のお気に入りだったペン、そして、これは君に、と書かれたメモが入っていた。今手に持っているペンで、この絵も描いていたことを思い出す。
その瞬間、胸の中で何かが砕け散る音が聞こえた。気がつくと、私はペンを走らせていた。あんなに騒がしかった鼓動も、嘘のように落ち着いていた。静寂だけがこの夜明けを支配している。
絵具で色彩を持たせ、完成した絵。完成するまでは、何故描いているのか、何を描いているのかさえ、自分でもわからなかった。しかし、こうして完成した絵を眺めている今では、はっきりとわかる。これは私が先生と決別するための絵だ。
甘い香りに誘われ、琥珀の中に閉じ込められた虫。彼らは琥珀の中で何を思うのだろうか? 甘い香りが充満し身動きの取れない世界。全てを飲み込まれる代わりに、全てを優しく包み込んでくれる。そんな愛しくも狂おしい世界。
ずっとそこにいたのに、亀裂が入るまで、自分がそこにいることすら気がつかなった。亀裂が入っても、それが何か気づくことすら出来なかった。それに気づかせてくれたのが、皮肉なことに、先生のあの絵だった。
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