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私が一人占めする。 そんな気持ちもなくはない。 電話を終えると、彼とここで過ごした風景を思い出して、眺めていた。 彼が亡くなったあとのことも、ちゃんと考えなければいけないのに。 私は今だけで精一杯みたいだ。 気持ちはただただ、幸せを感じていたその日々を振り返るばかり。 7月。 痛み止めの種類が変わると、彼の意識はどこか遠くへいくばかりになった。 病室はテレビのない部屋になった。 彼はもう見ることができないから。 目は開いているけれど、何も見えていない焦点。 体は微動や、いきなり大きく跳ねるのだけど、彼が意識してしているわけじゃない。 寝たきりの体。 私はいつものようにその唇にふれて、その唇を濡らす。 体温があるのかないのかもわからない。 まだ彼はここにいるのに、もういない。 彼の自由にその体は動かない。 その表情も動かない。 唇、濡らせば喜んでくれるのに。 私は彼のベッドの脇に屈んで、そのグレーの瞳を見つめて笑いかける。 彼の震えている手をぎゅっと握る。 「ここにいます。最期までいるから。大丈夫です」 そう語りかけてみる。 彼は笑ってくれない。 「…孝太さん。……こうちゃん。私も一緒に逝ってあげたいけど、恭太がいるからできないんです。 恭太がいなかったら、私、一緒に逝きたかった。一人になりたくない。 でもあなたが…私に恭太をくれた。恭太を一人にするようで…できない」 彼に聞こえているとも思えないけど、話しかけていた。 泣いて、涙を拭って、また泣いて。 彼の手に唇を押し当てて、込み上げそうな嗚咽を止める。 その手は軽く動いて、私の手を握ってくれているように感じて。 彼の指輪に唇を滑らせる。 「私、あなたと結婚できて本当に幸せでした。あなたは私に尽くしてくれた。 ……恭太がいるから…、あなたがくれた大きな宝物があるから…、がんばるね」 そう伝えて、その瞳を見ると、笑ってくれているように私には見えた。
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