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作家などといった、当たるか外すかの仕事よりも、俺には安定した仕事を選ぶ堅物に見えていたので、それは意外だった。
「それから社長と話す時に手を繋いでいたのは何だ?」
ごく自然に”私に彼の言葉は理解が出来ない”と前振りをした。一瞬何を言われたのか分からなかった。一体どういう意味なのだろうか。知りたいような知りたくないような、その時の俺は複雑な顔をしていただろう。
さらに朝霞が噂は半分当たっていると続けて、相手と対話をする際に、直接話しかけられても分からない。読唇術を使えるほど、生まれ持っての障害ではなく、難聴は最近のことだった。フリーダムを辞めて一年後に発症した。
そして対話の方法は、筆談か手を握ることだというのだ。右手で触れた相手は、話していることが手を通して言葉が流れ込み、左手で触れた相手に、自分の思念を送ることが出来るようだ。俄(にわか)には信じがたいことだが、物心がついた頃には宿っており、いつ覚醒したものなのか、生まれながら持っていたのか、はっきりしたことは本人ですら分からないというものだった。
「あの時……」
独り言のようにか細い声で、ぽつりと呟いた。そして、俺はこの後に続いた言葉を聞かずにいればよかったと、後悔することになった。
「あの時出来なかったから、償うべき責任があります。だから私は遺体捜査官になりました」
「贖罪(しょくざい)のためか?」
朝霞は黙って頷いた。異様なほどに勘が鋭く、俺が一番知りたかったことを聞く前に答えられた。これほどにまで小さな体に計り知れないほど、大きなものを抱えていたのか。俺は朝霞の強さを知った。
「会いたい人がいます」
穏やかな柔らかい表情をして、優しい声色で、その人物を思いおこしながら言った。しかし“でももうその人は亡くなっている可能性が高いです” さらに続けられた言葉に思わず耳を疑った。
ところが、よく見ると俺だけが動揺していて、当人は平然としていた。そしてその眼はどこも捉えておらず、感情が見えなかった。
「だから遺留品は見つからなくても、せめて遺体だけは見つけて、弔(とむら)ってあげたいと思っています」
今度は声を震わせて、今にも泣き出しそうに言った。表情が瞬時に変わり、どれが本当の姿なのか、俺には全く区別が出来なかった。まだ朝霞のことは謎のままだが、以前よりは分かった気がしていた。
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