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不慣れな手つきで題名に必要な物と打ち込み、明日の捜査で使う道具類を出来るだけ細かく説明して、最後に柊煉次郎(ひいらぎれんじろう)と名前を打って送信した。
本当はこんなので届くのだろうかと、気が気でなかった。携帯は通話しか使わない人間にとってみれば、メールがコミュニケーションツールという若い世代はついていけそうになかった。機械に依存する人間の心理が、全くといって分からないからだ。
もう俺自身でさえ、はっきりとは覚えていないほど、数年前だったか数十年前だったか、妻が家を出て行った。大切な娘も忽然といなくなっていた。おそらく妻が連れて出たのだろう。
俺が帰宅した時に家は見事にものけのからで、妻が使っていた家具や食器、服、写真に至るまでの私物が持ち出されていた。
俺の手の中に残されたのは、現実に取り残された俺と、独身時代に使っていた俺の私物と、無駄に広い家のローンだけだった。
思い出がありすぎて家にいるのが辛くなった俺は、二度に及ぶ大切なものを手放した。
改めて必要以上に整理された部屋を見渡してみた。備え付けのテレビ、エアコン、レンジ、炊飯器、冷蔵庫、押し入れ、ベッド、その脇にナイトテーブルと照明など家具家電付きだ。
それに私物の一年中放り出したままで机代わりの炬燵、後は主に衣服だ。例えば刑事の頃に愛用していたスーツはもう体形に合わず、着られなくなってしまったのだが、捨てるのは勿体なくて、何となく取って置いた物だ。あとは食器、歯ブラシ、髭剃り機、シェイビングクリームといった、日用雑貨や消耗品の類などだ。
あの家から持ち込んだものは、ほとんどなくなっていた。決して処分したわけではない。いざ引っ越してみて、あまりにも私物が少ないことに気が付いたのだ。
何もかもを手放す覚悟を決めたあの日は、あくまでも自分だけの意思で警察官から自衛隊に転職したその日の内に起った出来事だった。
警察官は犯罪者と直に関わりを持つので、常に命の危険性があった。そのため、辞めてほしいと妻から反対されていた。しかし、今までは何となく刑事として生きて、刑事として死ぬのだろうと思っていた。いきなり警察官以外の仕事と言われても、想像が出来なかった。
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