第1章 招かれし者ミロ

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広漠たる異境に佇む丘の上でミロは空を見上げた。 暗澹とした黒雲が羊皮紙に垂らした インクのようにうねくり広がっていく様が見える。 圧迫感を伴うそれはさながら空が落ちてくるようであったが、 嵐が来る事などない……恐らく永久に。 ここは全てが不規則で何もかもがおかしかったが、 降雨に見舞われた事が不思議と無かった。 ここが何処なのかミロには分からない。 ただ懐に仕舞われていた紙の束に書かれた覚書の お蔭で何があったのかおおよその事情を知る事は出来た。 とても言葉に出来ない。 今とても落ち込んでいるが、そう悠長に時間を 使っている暇も無いだろう。 周囲に立っている槍を持つ農夫たちは白痴のようにぼうっと空を 眺めているが、恐らく彼らにもそれ程猶予が無い。 鐘が鳴る。 鐘楼を備えた聖堂の鐘の音だ。 聖堂の正門がゆっくりと開いていく。 よく分からないが、多分この後戦場へ招かれるはずだ。 ミロは農夫たちに紛れて、 聖堂の中へと入った。 そして言葉を失った。 壁が……あった。 崩れた外壁の一部のような……奇妙な物体だ。 その壁には模様が浮かび上がっていて、 常に形を変えていく。 模様は人や獣の姿を表しているようにも見え、 怒り、嘆き、悲しみ、歓喜、狂喜の感情を 受け取れる。 彫刻でとび抜けて描写に優れた物を ミロも見た事があるが、あの壁の住人たちの 息遣いすら表現しうる力には到底及ばない。 およそ人の造りし物とは思えない。 奇跡の御業。 神の被造物。 または悪魔の戯れのなれの果て。 そのような表現しか出来ない己の語彙力に いくばくかの恥を感じつつ、ミロは壁の前で ひざまずいている人影に視線を落とした。
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